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最高裁判所第一小法廷 平成9年(行ツ)184号 判決 1998年6月11日

広島県三次市畠敷町一〇二九―一六

上告人

奥田賢治

右訴訟代理人弁護士

坂本宏一

山口格之

阿左美信義

津村健太郎

池上忍

広島県三次市十日市東一丁目一三番五号

被上告人

三次税務署長 近藤恭雄

右指定代理人

渡辺富雄

右当事者間の広島高等裁判所平成七年(行コ)第一号青色申告取消処分等取消請求事件について、同裁判所が平成九年六月二七日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人坂本宏一、同山口格之、同阿左美信義、同津村健太郎、同池上忍の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は違憲をいう点を含め、独自の見解に立って、原判決の右判断における法令の解釈適用の誤りをいうものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小野幹雄 裁判官 遠藤光男 裁判官 井嶋一友 裁判官 藤井正雄 裁判官 大出峻郎)

(平成九年(行ツ)第一八四号 上告人 奥田賢治)

上告代理人坂本宏一、同山口格之、同阿左美信義、同津村健太郎、同池袋忍の上告理由

一、はじめに(原判決の審理不尽、理由不備)

1、原判決の判断は、行き過ぎた税務調査及び税務行政を徹底してかばい、追認するものである。被上告人の主張・証拠のみを採用して事実を曲げて認定し、法的判断についても、許されるべき法の解釈を超え、あるいは必要な法的判断を回避して、まさに無理やりに結論を被上告人に有利に導いている。

原判決は経験則ないし採証法則の適用の誤りを犯しており、結果として審理不尽、理由不備の違法がある。

2、経験則ないし採証法則の適用の誤りの例を二、三あげると、昭和六二年六月一日に、被上告人担当者が、税務調査の中断後、だれもいない上告人事務所に勝手に入り、帳簿等を引っ張り出して調査していたことにつき、「午後からも引き続き調査させてほしいとの申し入れを受けたが、その際特に異議を述べず、午後四時頃までには事業所に戻る旨を答えたことからすれば」から、「控訴人は暗黙ではあるにせよ朝野税務職員が午後から引き続き調査することについて了解して」いると認定する点。このような不当違法な調査に不安を持ち、民商に援助を求め、その後の調査に民商関係者の立ち会いを求めたのであると具体的に主張立証しているのに、この点について全く判断を回避している点。民商関係者の立会のもとで昭和六一年分の調査はほぼ完遂でき、上告人がその後の調査につき、立会なしで調査をさせるべく帳簿等を提示しているのに、調査終了まで立会をさせないことを約束しないと調査をしないとして、調査に入らず青色申告承認の取消、更正処分に及んでいることにつき、被上告人担当者の対処の不当さを全く問題にもせず、上告人に調査に「調査を円滑に遂行させる意思があったとは到底なし難い」として、被上告人が調査しなかったのは上告人らの責任であるとする点などである。

3、事実認定を前提とした法的評価の面でも、立会排除の根拠として、被上告人の挙げる守秘義務について、はたして守秘義務が立会拒否の根拠となるのかどうかについて全く判断をしないまま、「守秘義務が根拠であるとの説明にも納得せず」として、上告人らの行為を難詰することにこれ努めている点。青色申告承認の取消の理由につき、法に明文で定めのない帳簿の提示の概念を持ち込むにとどまらず、「税務調査の要請に応じて常に提示可能な状態にして保管しておくことは当然の前提」として、これまでの判例の「提示」概念を、無批判かつ不当に拡大する点などである。

4、課税処分や税務調査は行政の権力的作用である。申告納税制度の原則の下、その例外として行われる税務調査、それに基づく更正処分、また、青色申告承認の取消処分などは、法の手続きに則って公正に行わなければならず、したがって当然裁判所の役割は、課税庁をあらゆる手だてを講じてかばい立てることではなく、公平に法を前提として、対等たるべき納税者と課税庁のいずれに非があるかを冷静に判断するものでなければならない。

一審や原審において再三引用した春日判決の東京地裁・同高裁判決や、広島高裁松江支部平成五年一二月二二日判決などの、最近の判例は、このような観点から、税務署側の行き過ぎた行為に最小限の絞りをかけ、納税者側の請求を容れたものである。しかるに、原判決には、このような考慮が全くなく、その以前の、課税庁にできるだけ有利に事実を認定し、法を適用する手法を、さらに違法不当に推し進めるものである。

その意味において、原判決は裁判所の法の番人たるべき本来の責務を放擲し、先例の努力を無に帰せしめるものであるといわざるを得ず、経験則ないし採証法則の適用の誤りを犯しており、結果として審理不尽、理由不備の違法があるものである。。速やかに取り消されるほかはない。

二、原判決の論理のメルクマール

原判決の審理不尽、理由不備の内容をなす問題点は、大きくわけて三点である。

一つ目は、税務職員の守秘義務を具体的論拠なく税務調査における「第三者」の立会に適用、是認すること。

二つ目は、税務職員の広範な裁量権を認めること。

三つ目は、所得税法一四八条の「備え付け・記録・保存」の解釈である。

原判決がこれらの点において展開した論理を組み合わせて適用するとき、税務職員の税務調査における権限はまさしく無限定なものとなる。

税務職員の負うべき守秘義務の内容、範囲が明らかにされなければならないし、税務調査に第三者が立ち会うことで、税務職員の守秘義務がどのように害されるのか、あるいは害されるおそれがあるのかが明確にされなければならない。また、守秘義務に抵触するかどうかの判断は現場の税務職員の「合理的な裁量」に委ねられるとしても、漠然と「合理的な裁量」というのみで、税務調査において税務職員に与えられている権限の法的根拠、範囲などを何ら限定しないのでは、全く理由にならないし、少なくとも裁量の範囲を逸脱していないかどうかの判断もできないはずである。また、前記第三の点についても第二三四条の質問検査権と青色申告承認の要件としての同法一四八条の「備え付け・記録・保存」は、法律上別の概念であるから、同法一四八条の「備え付け・記録・保存」の要件として、帳簿書類の提示が必要であると解するとしても、提示が税務調査における質問検査権の行使の全過程において必要であるとの解釈など本来導きようがないはずである。しかるに、原判決は明言はしていないが、両者を混同し、あるいは一体化しているふしがあり、この面でも理由不備ないし法令の解釈の誤りを犯している。

三、守秘義務について

1、守秘義務が立会拒否の正当な理由たり得るか。守秘義務は公務員である担当税務職員が「職務上知り得た秘密を漏らしてはならない義務」である。

まず第一に、税務調査に「第三者」が立ち会うことがなぜ、税務職員が「職務上知り得た秘密を漏らしてはならない義務」に違反するのか。守秘義務を課せられているのは、税務職員であり、「第三者」ではない。この点について、被上告人からはなんの主張もない。税務署側は、調査の過程で秘密に関する事項にも言及するのであり、それを「第三者」が見聞するようになるから守秘義務に反することになるとの説明をすることがある。しかし、立会いの「第三者」については当該納税者が要請をして立ち会ってもらっているのであり、納税者が知っている「秘密」を調査の過程で「第三者」が知ったからと言って、「秘密」を漏らしたことになるわけではない。

更に、税務署側は、調査に際しては、当該納税者の取引先などの秘密に触れることもあり、これを「第三者」が知るようになることは、やはり守秘義務に反することになるという。しかし、これも明らかに詭弁に近い。税務調査の中で出ることのあるべき取引先との取引内容ないし金額が守秘義務の課せられる「秘密」となるとも思われないし、「第三者」が立会いの際にそのような事柄を見聞したからといって、税務職員が当然に「秘密をもらした」ことになるものでもない。

事実、被上告人税務署の統括官である青木証人は、民商関係者が税務調査に立会ったことで、税務署員の守秘義務違反が問題となった事例をただの一つも見聞していないと証言している(一審第一二回二二四ないし二二九)。また、被上告人税務署においては、昭和六一年ころまで、民商関係者が、会員の税務調査に立ち会い、立ち会いの下で税務調査が円滑に進行し終了してきていたのである(一審須山第一〇回二六ないし七〇。甲一、二号証)。それまでは、ずっと守秘義務違反の調査を継続してきたというのか。あるいは守秘義務が突然に降ってわいたとでもいうのか。

仮に、民商関係者が立ち会うことが守秘義務違反の問題を生じる可能性があるとしても、それは、まさに具体的調査の過程において、調査内容によっては、取引先の事柄に触れるので守秘義務に触れるおそれがあるという形で問題になるに過ぎないはずである。であるならば、調査の全過程に当然に立会を排除することは、少なくとも守秘義務を根拠にしてはできないというほかない。

しかるに、原判決は、守秘義務がなぜに民商関係者の立会拒否の理由となるのかの判断、説明を全く行わないばかりか、当然に、調査の全過程において守秘義務を根拠として立会いを排除し得るものとし、それに応じなければ調査に「極めて非協力」であるとする。更には、これにとどまらず、将来にわたる立会排除の確約をしない限り、上告人が提示している帳簿等をみようとしなかったことをも、「立会いのないことの保証に十全を期するため」の措置であり「一概に不相当とすることはできない」(一審判決二八丁裏腹判決も維持)というのである。 原判決は、被上告人の不当な主張を無批判に鵜呑みにするにとどまらず、裁判所のなすべき法的判断を回避し、その結果当然に示すべき理由を示すことができず、理由不備の判決理由となったものである。

2、さらに、問題なのは、守秘義務といいながら、そこにいう「秘密」が、調査の必要性と私的利益との調整の観点から具体的なものとして吟味された形跡がないことである。ただ抽象的かつ観念的に「守秘義務」を持ち出せば、納税者等が要求する立会を拒否する論理として税務調査全般に通用すると誤解しているふしがある。

いうまでもなく、「守秘義務」とは法律上の概念である。この場合、法律上の根拠としては国家公務員法(一〇〇条)と所得税法(二四三条)が考えられるが、国家公務員法が対象とする秘密とは、公務員が職務上知ることのできた秘密であって、法律の目的が公務員の規律保持にあることを考えると、その公務員が所属する官庁が保有する情報であって実質的に秘密とすべき必要のあるものを汎称していると解される。それに比べて所得税法が対象とするそれは、所得税の調査に関する事務に従事し、あるいは従事していた者が事務に関して知ることができた秘密に範囲が限られている。なぜ法律が、官庁の秘密一般とは別に税務調査に関する秘密保護の手立てを講じているのかといえば、それは調査によって税務当局が入手し得た国民固有の具体的秘密を保護する必要があり、それが目的(法益)だからてある。換言すれば所得税法が税務職員に漏らしてはならない義務を課している秘密とは、納税者である国民が自ら保持する他に知られたくない個別具体的な情報(プライバシーに関する情報)にほかならないのである。

そして税務調査で守秘義務が問題になるとすれば、まさに納税者等の個人的秘密以外にはあり得ない。およそ国民に対する行政行為の過程で官庁の秘密情報を国民に告示しなければ事務が進められないという場面は考えられない。国民主権の下で国民に隠すことが必要な国家秘密は原則としてあり得ないからである。仮にそのような極秘情報の存在があり得るとするならば、当然のこととして官庁は漏れる危険性の伴う行為自体を避けるのが通常であろう。官庁の職務遂行上の秘密を守るためには行政行為を断念すべきである。その選択だけの問題である。

3、そこで守られるべき秘密の主体と対象は何かが問われなければならない。ここでいう「秘密」とは、誰の誰に対する、何のための、どういう具体的内容の秘密なのかを明らかにする必要がある。被上告人としては、まず調査の内容が被調査者の営業上の秘密に及ぶことがあると言うであろう。しかし、納税者本人ら被調査者の秘密が、立会排除の理由にならないことはいうまでもない。被調査者自身が立会を望んでおり、立会人に知られて困るような秘密がないことを明らかにしているからである。もし質問検査が具体的な展開のなかで、その立会人にも知られたくない秘密に及んでくることは殆ど考えられないが、もし仮にそういう事態になったときには、税務職員の干渉をまつまでもなく被調査者自らが立会人に席を外すことを求めるであろうし、また、それで足りるのである。

次に被上告人は取引の相手方である第三者の営業上の秘密に及ぶことがあるとするならば、それはその取引の相手方固有のものであって、その立場からすれば、その者の秘密は納税者本人ら被調査者に対する関係でも秘匿を要するものであることにならざるを得ないであろう。税務職員が漏らしてはならない取引先の秘密があるとすれば、それは被調査者である納税者に対しても守られるべきであろう。そうだとすると、その事項に触れる調査は、納税者本人に対しても行うことは許されないことにならざるを得ない。首尾一貫させる限りは、その取引先に関する特定の事項については調査できないことになるだけのことである。被調査者も守秘義務がないことは立会人と異なるところがない。このように考えてくると取引先の秘密に言及する論旨は、問題を具体的に分析することをせず、単に抽象的観念的なレベルにとどまっていることを暴露するものにほかならない。

事実、被上告人税務署の青木統括官が、民商関係者が税務調査に立会ったことで、税務職員の守秘義務違反が問題となった事例をただの一つも見聞したことがないと証言していることは前述したところである。

4、もし第三者の秘密が考えられるとすれば、医師あるいは弁護士のように顧客のプライバシーを守るべき法的義務を負っている者がその顧客が他に知られたくない名誉とかプライバシーにかかわる特定の事項について質問検査が及ぶ必要が生じた場合などが、おそらく典型的な例であろう。ケースは限られている。その場合には税務職員は、その第三者の秘密に関する事項に及ぶことを告げて立会人に退席を求めるべきである。それによってに調査の必要性と被調査者の私的利益との具体的調和が図られることになる。それが「社会通念上相当な限度」をわきまえた運用にほかならない。

この点では静岡地裁昭和四七年二月九日判決(判例時報六五九号三六頁)が「質問検査権の行使が任意調査である以上、被調査者の依頼した第三者が調査に立ち会うことは何ら違法、不当なことはない。むしろ、このような第三者が立ち会っていることを理由に調査が不能であるということこそ不当なことである」としたうえ、「当該被調査者の秘密は、立会人が同人の要請でその場に立ち会っている以上、問題にならず、問題になるとすれば取引の相手方の秘密である」とし、「それに答えることがその取引の当事者の秘密をもらすおそれがあり、立会人のいる前でその説明をすることが不相当であると判断される場合には、その旨立会人らに告げてその段階で立会人の立ち退きを要求すべきものであろう」と判示しているのは、まことに正鵠を得たものと言うべきである。

5、要するに、税務調査における守秘義務の存否とその程度とは具体的に検討されるべきである。現に青色申告会や法人会その他の業者団体では当該団体の事務局員など立会のもとで税務職員の質問検査が行われている。三次民主商工会でも昭相六一年以前は、納税者以外の者が同席していることのみを理由に税務職員が調査を拒否して退去してしまうということはなかった(原審第一〇回須山二六ないし七〇。甲一、二号証)。三次税務署の対応が急に変化したのは昭和六二年からである。この経緯については藤川証人が具体的に証言している(原審第七回調書七一以下)。それは三次税務署だけではなく広島国税局全体ひいては国税庁全体の方針であった。

いずれにせよ納税者以外の者が同席していることだけで守秘義務に抵触するとの口実をもうけ、調査に入らず検査を拒否するような税務職員の対応が容認されるいわれはない。そのような抽象的観念的な守秘義務を振りかざして納税者の側に調査非協力のレッテルを貼ることは許されるべきではないのである。

6、原判決は、「朝野調査官の臨場調査に際しては、ほとんど常に民商会員を同席させ、立会いを拒否する理由の説明を求め、守秘義務が根拠であるとの説明にも納得せず、立会いの下での調査を求め続けたほか、調査理由の開示を求め、所得の調査が根拠であるとの回答を受けたにもかかわらず、更に詳細な理由の説明を執拗に求め、調査状況の写真撮影もしているのであって、かような状況において、朝野調査官がそれ以上の調査が不能と判断したのはやむを得ないものというべきである。」(一審判決書二七丁裏 二八丁表、原判決でも維持)との判示をする。しかし「詳細な理由の説明を執拗に求め」というが、例えば一〇月二七日の調査では、被上告人はこのような主張をするけれども、上告人が執拗に理由の説明を求めた事実などないことが、甲第三号証の録音テープや朝野調査官の証人尋問(第九回朝野一七一ないし一七五)で明らかとなっている。

この、「守秘義務が根拠であるとの説明」だけでは到底「納得」できなるものではない。第三者が立ち会うことで、なにがどのように税務職員に課せられた守秘義務に抵触するのか、朝野調査官は説明をしなかった、というより説明できなかった。一審判決も、原判決も「守秘義務が根拠であるとの説明」と事実を認定するのみで、なにがどう守秘義務に反することになるのかの判示はない。理由不備の典型というべきであろう。

7、税務職員に課せられた守秘義務につき、もっとも広範囲にその適用範囲を認めたと思われる先例では、「税務職員の守秘義務は、税務署職員が税務調査等の税務事務に関して知り得た納税者自身や取引先等の第三者の秘密を保護するというにとどまらず、税務調査等の税務事務への信頼や協力を確保し、納税者や第三者の真実の開示を担保して、申告納税制度の下での税務行政の適正な執行を確保することを目的としている。」(東京地裁平成六年一二月一六日訟月四一巻一二号二九五六頁)

きわめて広範かつ漠然とした定義付であり、一般論としてもその妥当性は疑わしいが、これに当てはめても、民商会員が、同じ民商の会員や事務局員の立会を求めているのにこれを排除する理由とはなり得ないことは前述したところから明らかである。前述の静岡地裁判決に従えば、場合によっては、「それに答えることがその取引の当事者の秘密をもらすおそれがあり、立会人のいる前でその説明をすることが不相当であると判断される場合には、その旨立会人らに告げてその段階で立会人の立ち退きを要求すべき」ことはあり得ても、調査の最初から立会を排除し、さらには、立会なくして調査に応ずる準備をしている納税者に対し調査が終わるまで「第三者」の立会を入れないことを約束しない限り、調査をしないなどとの対応の根拠に守秘義務を持ち出すことの不合理性は疑うべくもない。

8、ちなみに諸外国では税務行政なかんづく税務調査における国民(納税者)の権利が明確にされている。カナダの「納税者の権利宣言」イギリスの「納税者憲章」、アメリカ合衆国の「納税者権利保障法案」などが文献(例えば北野弘久編「現代税法講義」法律文化社)で紹介されているが、フランスの「税務調査に関する憲章」によれば、補佐人立会うが制度的に保障されており「いかなる納税者も、調査に際して、自弁の補佐人を立ち会わせることができる。また調査官には、この立会権の納税者への告知が義務づけられている」と明記されているのである(甲三三号証の一、一三五ないし一五四)。この諸外国と対比するとき、税務調査が抽象的な守秘義務を口実とし、納税者を孤立の状況におき、税務職員とだけの密室の中で進められることを、ひたすら是認擁護する論議がなされている我が国の現状には、税務行政における人権保障の貧因と後進性を痛感させられるのである。

四、税務職員の「合理的な裁量」について

1、税務調査は所得税法二三四条が定める質問検査権の行使として行われる。税務調査としての質問検査権は任意調査であって、調査に応ずるかどうかは基本的には被調査者の意思にゆだねられていることは判例も認めるところであり、この構造を否定することはできないであろう。また税務調査が納税者など被調査者の営業や生活に支障を及ぼし、多かれ少なかれ、その利益を損なう性質のものであることは明らかである。だからこそ最高裁昭和四八年七月一〇日第三小法廷決定(判例時報七〇八号一八頁・荒川民商広田事件)は、質問検査実施の細目については「税務職員の合理的選択に委ねられている」としながらも、調査について客観的必要があると判断される場合であること。その客観的必要性と私的利益との衡量(比較)において社会通念上相当な限度にとどまるものであること(必要性、比較衡量、相当性)という枠組を設定したのである。このような枠組(質問検査権行使の法的限界)を明らかにすることによって税務調査を行う必要と調査を受ける側の立場とを調整しようという考え方なのである。しかも同決定によれば、その必要性の有無と程度は「諸般の具体的事情にかんがみて」判断されるべきものとされている。従って調査を受ける側の「私的利益」(納税者等の都合)との比較やその利害調整も、抽象的観念的なものでは足りないのであって、具体的状況にそくした具体的なものとして考えなければならないのである。税務調査を行う立場から説明すれば、そのような相手方(納税者等の被調査者)に対する具体的配慮を十分に払った上で質問検査をすべきものであり、そうしてなされた質問検査のみが、はじめて任意調査にふさわしい適法な権限行使として許容されることになるのである。

ところで税務調査を受ける個人は、税法や税務に精通していない者がほとんどと言ってよい。課税処分を目的とする税務職員の質問検査に十分に対応し、自分の権利や利益を守る手だてを持たないのが普通である。日ごろから税理士など専門家を依頼できる者ばかりとは限らない。しかも税務調査は権力を背景に行われている。専門知識を有する税務職員に対応するには、納税者本人だけで対応することは到底不可能である。記録の精通者でなくとも、立会によって不当な調査が行われないよう監視し、不当事例があれば本人に助言し、その場で誤りを是正させなければならない。また調査のやり方や現場のやりとりを証拠保全するためにも立会人の存在は有益な場合がある。立会人がないために証人が立てられず、理不尽な弾圧を許した例も少なくない。このことは証人藤川雅弘や同秦直人(甲三二号証の一、二)が証言しているところである。そして、そういう具体的必要がある以上、任意調査に応ずるための条件として、被調査者が信頼する者を立会わせることは、むしろ当然のことであるといえるのである。

2、原判決によれば、

「そもそも、税務職員は、その合理的な裁量に基づいて必要と認める調査を行うことができるのである。そして、税務職員には、守秘義務が課されている(所得税法二四三条)ところ、税務職員の把握した納税者等の秘密が容易に外部に漏れるような状況下では、税務職員の正当な職務行為の遂行ができないことからすれば、納税職員が、税務調査において第三者の立会を認めるか否かについても、当該税務職員の合理的な裁量に委ねられていると解すべきである。」(原判決二〇~二一頁)

として、税務職員の広範な裁量権を認める。同旨の先例は少なくないが、たとえば、「所得税の税務調査において、第三者の立ち会いを認めるか否か等調査の方法、内容、程度については、調査を担当する税務職員の合理的な裁量に委ねられているのであり、本件において、宮本調査官らが原告の所得調査に税理士でない第三者を立ち会わせることを拒否したのは、当該調査が原告及びその取引先の秘密事項にもわたる可能性があると考えたためであるというのであるから、右裁量判断には合理性があるというべきであるし、その他宮本調査官らの本件の税務調査において、同調査官の判断に裁量の範囲を逸脱していると認められるような事情も存在しない。」(大阪地裁平成七年一二月二一日・判タ九一〇・一一一)

3、いずれも、「合理的な裁量」という言葉を使い、「第三者」の立会を排除する根拠として守秘義務をあげる。守秘義務の問題についてはすでに述べたので繰り返さないが、この守秘義務をひとまずおくとしても、これを根拠として「合理的な裁量」によって、「第三者」の立会を排除することのできる場合の、裁量の根拠、範囲が明らかにされなければならないはずである。

つまり、明らかに守秘義務に抵触するおそれのない場合にまで、守秘義務を根拠として立会を排除することはできないはずである。また、「合理的な裁量」を逸脱するのはどのような場合なのかを見極めるためには、当然のことであるが裁量権の根拠、範囲が明確にならなければならない。

然るに、一審判決も、原判決も、原判決もこれらについて納得しうる判示は全くない。これでは、「合理的な裁量」という言葉を使えば、税務職員はどのような税務調査でも思うがままにできることになり、犯罪行為に及ばない限りは好き放題の調査ができることになる。これは極論ではない。前述したように、昭和六二年六月一日に朝野調査官が、税務調査の中断後、誰もいない上告人事務所に勝手に入り、帳簿等を引っ張り出して調査していたことにつき、当然に住居侵入罪が成立するはずであるのに、「合理的な裁量」として許されることにもなるのである。

原判決は、「午後からも引き続き調査をさせてほしいとの申し入れを受けたが、その際特に異議を述べず、午後四時頃までには事業所に戻る旨を答えたことからすれば」から、「控訴人は暗黙ではあるにせよ朝野税務職員が午後から引き続き調査することについて了解して」いると認定する。しかし、午後からの調査に「暗黙」の「了解」を与えていたとしても、上告人も、それに変わる管理者もいない事務所に勝手に入って帳簿書類等を調査(物色)することまでの「暗黙」の「了解」を擬制することなどは通常の経験則を超えた認定といわざるを得ない。犯罪行為に及ぶことまでが、「合理的な裁量」として是認されることになってしまうのであろうか。

いずれにせよ、「合理的な裁量」の根拠、範囲を明確にすることなくして、「合理的な裁量」の範囲内であるとか、「合理的な裁量」に委ねられてるとかいっても何もいっていないに等しいのであり、原判決にはこの点からしても理由不備、審理不尽がある。

五、所得税法一四八条の「備付け・記録・保存」の解釈について

1、原判決の所得税法一四八条一項、一五〇条一項一号の解釈

原判決は、「青色申告の承認を受けている者が、正当な理由がないのに帳簿書類を税務職員に提示することを拒否したような場合には、たとえ客観的には帳簿の備付け、記録、保存が正しく行われていたとしても、その者には所得税法一四八条一項所定の義務の違反があることになり同法一五〇条一項一号が定める青色申告承認処分の取消事由に該当するものと解するのが相当である。」と解釈している。

原判決の右解釈は、国民主権原理に立脚した租税法律主義という憲法前文、同八四条、三〇条に違反し、かつ所得税法一四八条一項、一五〇条一項一号の解釈・適用を誤ったものであり、「判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背」に該当するものであるからから、原判決は破棄されねばならない。

2、まず、原判決は、青色申告方式の選択権が納税者にあることを見失っている。

国民主権原理に立脚した申告納税制度のものにあって、青色申告を選択するか、白色申告を選択するかは、納税者の権利であって、納税者の側にその選択権があり、課税庁が納税者の選択権を侵すことは許されないといわねばならない。これも「承諾なくして課税なし」の原理に由来するものである。

ところが、原判決は、この青色申告は「手続上及び所得計算上の特典」であると誤解したうえで、この制度の趣旨から考えると、法一五〇条一項一号は、「納税義務者の帳簿の備付け、記録又は保存が正しく行われているとともに、その点を税務署長が確認できることが青色申告承認付与の当然の前提となっているものと解すべきである」と解している。

しかし、青色申告は、単純に納税者にとって「特典」というものではない。納税者には、家族ぐるみで朝早くから夜遅くまで働き、記帳する時間のない零細自営業者から、経理担当者をおいて帳票類を完全に整理しうる大企業まで、様々の規模態様の者がいる。記帳能力にない零細業者は、白色申告を選択することによって、記帳しなくてもその元になる伝票類さえ整理しておけば足りるのであって、所定の帳簿書類の備付けが義務付けられるわけではないという利益を蒙る。そのかわり、帳簿書類の不備も予想されるところから、更正は一種の賦課課税ともいうべき推計課税でもなされうるという不利益を蒙むるのは甘受しなければならない。

他方、記帳能力のある業者が青色申告を選択すれば、専従者控除が認められるという税法上の利益を享受しうるし、更正は備付け帳簿にもとづいて実額で計算されるかわりに、帳簿書類の備付け等が義務づけられるという不利益も蒙る。

要するに白色申告か青色申告かは、それぞれに利益と不利益を伴っているのであって、だからこそ、それらを総合的に勘案し、いずれを選択するかは、納税者の権利の問題とされているのである。

したがって、青色申告を、納税者にとって「特典」を与えたものということはできないのであって、「特典」を根拠にして、何らかの解釈を導き出すことは許されないといわねばならない。

いうまでもなく、一四八条一項所定の帳簿書類が備付け、記録がなされるためには、事実行為として帳簿書類の存在及び記載内容が「確認」されなければならないのは、論理的にも当然のことである。またかかる「確認」の行われる場の一つとして質問検査権の行使の場が考えられることはいうまでもない。しかしもとより、かかる「確認」の場は、それだけに限られないのであり、納税者が任意に課税庁に持参して提示したり、あるいは更正に対する異議申立、審査請求などの場において提示したりすることによっても「確認」することはできるのである。したがって、原判決のように、青色申告が「特典」であると解することは誤りであると同じに、「特典」を前提として、法一五〇条一項一号は、「納税義務者の帳簿の備付け、記録又は保存が正しく行われているとともに、その点を税務署長が確認できることが青色申告承認付与の当然の前提となっているものと解すべきである」と解しているのも誤りである。

いわば、納税者は、いずれかの段階で、帳簿書類を「確認」しうる場を課税庁に与えれば十分なのであって、一五〇条一項一号から、かかる「確認」の場まで限定した解釈を導きだすことは、およそ不可能な文理解釈といわねばならない。

3、仮に、原判決のように「青色申告の承認を受けている者が、正当な理由がないのに帳簿書類を税務職員に提示することを拒否したような場合には、たとえ客観的には帳簿の備付け、記録、保存が正しく行われていたとしても、その者には所得税法一四八条一項所定の義務の違反があることになり同法一五〇条一項一号が定める青色申告承認処分の取消事由に該当するものと解するのが相当である。」との解釈を是認するとしても、「帳簿書類の提示があったか否かは、具体的な税務調査の経過に沿って判断されるべきであり、税務職員の要請に応じて常に提示可能な状態にしておくことは当然の前提である」との解釈は、明らかに誤った解釈というほかない。税務調査における質問検査権とこれとは別の概念である青色申告の承認の条件である帳簿の備付け、記録又は保存を一体化せしめ、税務調査の全過程において、「税務職員の要請に応じて常に提示可能な状態にしておく」ことが必要であるとの解釈をとるものであり、この解釈はどのような観点から見ても、帳簿書類の備付け、記録、保存という概念を大きく踏み越えるものであって、到底認めうるものではない。

東京地裁平成三年一月三一日の春日判決は、「青色申告者が所得税法一四八条一項所定の帳簿書類の提示を拒否したため、その備付け、記録及び保存が正しく行われているか否かを税務署長が確認することができないときも、同法一五〇条一項一号が定める青色申告承認の取消事由に該当するものと解するのが相当である。」(甲第一三号証三三頁)としながらも、「もっとも、右のような青色申告承認の取消事由が法文上明文をもっては規定されていないこと、また青色申告承認取消処分が納税者に対して一定の不利益を課する処分であること等からすれば、右のような取消事由の認定に当たっては、一定の慎重さが要求されるものというべきである。すなわち納税義務者の提示拒否の事実の有無は、一定の時点においてのみ判断されるべきものではなく、税務当局の行う調査の全過程を通じて、税務当局側が帳簿の備付け状況等を確認するために社会通念上当然に要求される程度の努力を行ったのにもかかわらず、その確認を行うことが客観的にみてできなかったと考えられる場合に、右のような取消事由の存在が肯定されると考えるのが相当である」(同三四、三五頁)として、事実関係に即して、被告税務署側が冷静に調査を継続すれば帳簿書類の備付け、記録、保存が正しく行われているか否かを確認できたのではないかと考えられるから、結局青色申告承認の取消は違法であって取り消しを免れないとした。この判断は控訴審の東京高裁でも維持され(甲一九号証)、確定した。

4、右青色申告の取消を取り消すに至る根拠となった具体的事実は、税務署員の行った二度の臨場調査のうち、少なくとも一度は、税務署員において帳簿書類の備付け、記録、保存が正しく行われているか確認が可能であったのにそれをしていないというものである。

すなわち、「現に帳簿書類の入ったダンボール箱が準備され、その一部については原告側が箱から取り出して机の上に提示して見せるといった行為まで行われているのに、約二〇分という短時間で被告側が調査を切り上げてしまった六二年二月一八日の調査については、その際、被告側係官において、ある程度の時間をかけて冷静な態度で調査を継続し、原告のもとで所要の帳簿書類の備付け、記録、保存が正しく行われているか否かを確認しようとしていれば、これをすることが可能な状況があったのではないかとの疑いを払拭できないものというべきである。」、「少なくとも右二月一八日の調査に限っていえば、原告の方では、前回とは異なり、立会人を直接原告の決算書類の作成を手伝っていた高橋事務局員のみとし、被告係官の求めに応じて帳簿書類のはいったダンボール箱からその一部を取り出して机の上に置く等して、調査に応じる態度を示していたのであるから、被告係官において短時間でその場から退去することなくそのまま調査を続けていれば、所要の帳簿書類の備付け等が正しく行われているか否かを確認できたのではないかとも考えられるのである」(甲第一三号証四二、四三頁)として、青色申告承認の取消処分を違法として取り消した。

この春日判決は、「帳簿書類の提示を拒否したため、その備付け、記録及び保存が正しく行われているか否かを税務署長が確認することができないときも、同法一五〇条一項一号が定める青色申告承認の取消事由に該当するもの」としながらも、「提示」の有無の判断に「一定の慎重さ」を要求し、税務当局側が帳簿の備付け状況等を確認するために社会通念上当然に要求される程度の努力を課したもので、往々にして見受けられる行き過ぎた税務調査に一定の絞りをかけるものである。

右判決は、被告税務署側が冷静に調査を継続すれば帳簿書類の備付け、記録、保存が正しく行われているか否かを確認できたのではないかと考えられるとし、二月一八日の調査では、民商事務局員が立ち会っている場合であったのにもかかわらず、帳簿書類等の確認ができたはずだとする。

この春日判決の考え方を前提とすれば、本件ではまず、「昭和六一年分の帳簿書類についての調査はほぼ完了しており、昭和五九年分及び昭和六〇年分の帳簿書類についても、原告が調査の際は常に用意し、朝野調査官の目前においていつでも見ることのできる状態に置いていた」ことは原判決も認めている(一審判決二七丁裏原判決維持)。したがって、朝野調査官ら被上告人係官は、昭和六一年分の帳簿書類等を調査した昭和六二年六月一日、同一五日、同年八月二四日に引き続き、九月七日、同二四日は、引き続き立ち会いがあっても昭和五九年、同六〇年分の帳簿書類等を調査できたのに、立会排除に固執して提示された帳簿書類等を一切見ようとしなかった。一〇月一三日と同二七日には、上告人は立ち会いなくして帳簿書類等を見せるべく提示しているのに、調査の終了まで立ち会いを入れないことの約束を求め、全く帳簿書類等を見ないまま、調査をやめている。すなわち、九月七日、同二七日、一〇月一三日、同二七日のいずれの調査の際でも、「被告係官において短時間でその場から退去することなくそのまま調査を続けていれば、所要の帳簿書類の備付け等が正しく行われているか否かを確認できた」のに、これをしていないのである。殊に一〇月一三日と同二七日には、上告人は、立会のいない状態で、帳簿書類等をテーブルの上にいつでも見れる状態で提示したにもかかわらず、帳簿書類を見ず、備付け、記録、保存の有無の確認をしなかったのである。本件は、春日判決に比べて、はるかに「税務当局側が帳簿の備付け状況等を確認するために社会通念上当然に要求される程度の努力」を怠った度合いが大きく、帳簿書類の「提示」がなかったとは到底言えず、したがって備付け、記録、保存を欠くとの認定は経験則の取捨選択を誤った認定というしかない。

5、一審裁判長(更新前、一審では結審後に裁判長が交替した)は、明らかに、この春日判決の論理構成を念頭に置いて、本件の証拠調べに臨んでいたと思われる。

一審原告一九九四年五月一七日付準備書面四項2で述べたところであるが、改めて一部指摘すると、朝野証言(一審第九回口頭弁論)の裁判長の補充尋問部分(一七一ないし一七五項)に典型的に現れている。同尋問調書一七一ないし一七三項で、一〇月二七日の調査に関して、裁判長が尋問し、被上告人の主張するような上告人が「具体的な調査理由の告知及び第三者の立会いを認めるよう執拗に要求した」との事実のないことを明らかにし、一七五項で、

(裁判長)少なくとも当日の調査については、調査理由の開示をし、かつ立会いを認めなければ帳簿は見せないということではなかったんでしょう。そういう意味の理由の開示と立会い要求はなかったわけでしょう。

(朝野)それはそうです。

と尋問して、補充尋問を終えているのがそれである。

この一〇月二七日の調査については、上告人と朝野、松尾調査官のやり取の録音テープが残っており、この録音テープの翻訳は甲三号証で提出してある。また、録音テープ自体を原審第八回口頭弁論の冒頭で法廷で再生し、朝野証人が自分や松尾調査官の発言が録音されていることを確認している(一審第八回朝野五ないし七)。したがって、この一〇月二七日の調査におけるやりとりは甲三号証に正確に証拠として残っているから、同日の調査におけるやりとりから「被告側係官において、ある程度の時間をかけて冷静な態度で調査を継続し、原告のもとで所要の帳簿書類の備付け、記録、保存が正しく行われているか否かを確認しようとしていれば、これをすることが可能な状況があった」(前掲春日判決)か否かを改めて検証することとする。

この日朝野、松尾調査官が午前九時頃上告人事務所に臨宅した。「机の上には簡易帳簿三冊、コクヨの請求書、納品書を二〇冊置いてあった」(乙三一号証朝野調査官陳述書一〇頁)。上告人は「前置きはあまり長くしないようにしましょうや」、「まあ、やれるとこまでやってみたら」など発言して帳簿書類等の確認調査を促す(甲三号証一頁)が、朝野は上告人以外の第三者は立ち会っていないのにもかかわらず、守秘義務の説明をくどくどとしたりして「今後調査が終わるまで、・・立ち会いがおらんように。」(同一ないし二頁)などと、調査が終了するまで「第三者」の立ち会いを入れないことを約束させることに固執して確認調査を進めようとしない。上告人は更に「(調査が終わるまで立ち会いをさせないと約束せよとの)その話をしにきたんなら帰りんさい。調査に来たんなら進めましょう」(同二頁)と調査をすることを求めるが、朝野らは、あくまで約束にこだわっていっこうに調査に入らない。延々とこのようなやり取りが続くため上告人は「今日は(帳簿等を見てもらう)その準備して、この前も準備してお互いに、朝野君もそのつもりで来とったんじゃないん?わしもみてもらうつもりでいたし。・・」(同一〇頁)などと発言している。まもなく松尾も「今日は時間がないですから」(同一二項)といって、この日の調査はなにも進展しないまま終了し、次回を朝野のほうから連絡することになった(同一二頁)。前掲の朝野の陳述書では「調査理由の開示と立ち会いを要求してきて、結局これに終始しました。そのころ須山が事業所に入って来ましたが、本人はやはり私との約束を守らなかったことがわかり、私はこれ以上の調査はできないと判断してそのまま辞去しました。」(乙三一号証一〇ないし一一頁)と陳述し、これに沿った証言もしている。しかし。これは二重三重の意味で虚偽の供述である。前掲の裁判長の補充尋問でのやりとりで明らかなとおり、上告人が調査理由の開示と立ち会い要求に固執した事実はなく、逆に朝野調査官が、調査が終わるまでの立ち会い排除の約束に固執して、目の前に出してある帳簿書類等の確認をしようとしなかったものである。また、朝野は上告人が調査理由の開示と立ち会い要求に固執しているうちに須山が事業所に入って来て、調査の続行が不可能になったかのように陳述するが、事実は須山が入ってくる前に当日の調査は進展しないまま打ち切られていたものである。

6、一審判決は、一〇月一三日、同二七日の調査につき、「朝野調査官らが、今後一切立会いをしないとの確約のない限り調査はしないとの方針で望んだ」(一審判決二八丁裏原判決維持)ことを認定しながら、「そこに至るまでの間、朝野調査官は何度となく調査に臨場し、その都度立会いや調査理由の開示問題で原告らと押し問答になっており、直前の調査の際には、後日の証拠のためと称して写真撮影までされているのであって、このような原告の極めて非協力的な態度からすれば、立会いなしで調査に応じるという原告の発言が真摯なものであるかどうかについて疑念を持ち、立会いのないことの保証に十全を期することも一概に不相当とすることはできないというべきである。しかも原告は立会いはしないと言いながら、その実、須山らと申し合わせて結局二度とも同人らを臨場させているのであって、朝野調査官らか将来にわたり立会いのないことの確約を求めた判断を不当とすることはできず、原告において立会いのないまま調査を円滑に遂行させる意思かあったとは到底なし難いというべきである」(同二八丁裏~二九丁表原判決維持)と説示する。須山と上告人が「申し合わせて」、朝野調査官を欺いたとでもいわんばかりである。事実は、須山が証言するように(一審第一一回一五ないし二〇)、一〇月一三日、同二七日には、立会いなくして調査に応じるべく準備していたのであり、須山は、調査が円滑に進んでいるかどうかを確認に行ったに過ぎない。ところが、一三日も二七日も、朝野調査官が、将来にわたり立ち会いをしないことの確約に固執し上告人と押し問答となっているため、いったんどういうことかと、現場に顔を出すことになったものである。原判決は、何をもって、「原告において立会いのないまま調査を円滑に遂行させる意思があったとは到底なし難い」などと認定するのか。一三日にしても二七日にしても、調査しようと思えばできる状態で、朝野調査官は、提示されている帳簿等をみようともせずに、将来にわたる約束に固執したのである。被上告人は、それまで、昭和六一年分については立会いがあっても、調査を進めたのに、途中から立会いを強硬に排除するようになった。そこでやむを得ず、立会いなしの調査に応ずることにしたのである。この経過からは、むしろ被上告人の対応の気ままな(あるいは意図的な)変化に、上告人らが振り回された過程が見てとれるのであり、「原告の極めて非協力的な態度からすれば、立会いなしで調査に応じるという原告の発言が真摯なものであるかどうかについて疑念を持ち、立会いのないことの保証に十全を期することも一概に不相当とすることはできないというべきである」などとの認定が、一方的に、被上告人の言い分に偏した誤てる判断である事実であることは疑うべくもない。

7、このほぼ完全に被上告人に偏向し事実を冷静にみるべき態度を失っている原判決に比べ、春日判決や横浜地裁判決(甲二八号証)は少なくとも原判決よりは客観的かつ公正に事実を認定し、判断する。

春日判決では、「確かに、右の二月一八日の調査の際にも、荒川民商の高橋事務局員一人はその場に立ち会っていること、前回の九月九日の調査の際には荒川民商事務局員の立会の拒否の問題や調査理由の明示の問題を巡るやりとりのみで時間を経過してしまっており、当日もまず冒頭ではこれと同じようなやりとりが行なわれている等からして、被告係官としては、当日の調査についても、原告側の協力を容易に得られないものと判断したことにも無理からぬところがあるものと考える。しかし、少なくとも右二月一八日の調査に限っていえば、原告の方では、前回とは異なり、立会人を直接原告の決算書類の作成を手伝っていた高橋事務局員のみとし、被告係官の求めに応じて帳簿書類のはいったダンボール箱からその一部を取り出して机の上に置く等して、調査に応じる態度を示していたのであるから、被告係官において短時間でその場から退去することなくそのまま調査を続けていれば、所要の帳簿書類の備付け等が正しく行なわれているか否かを確認できたのではないかとも考えられるのである」(甲第一三号証四二、四三頁)として、納税者が一定程度立ち会いの問題や調査理由の開示の問題にこだわっても、更に民商事務局員が立ち会っていたとしても、納税者に調査に応じる態度があったのに調査をしなかったのは税務署の落ち度であると判断するのである。

甲二八号証の横浜地裁判決(同判決は東京高裁で維持された後確定した。甲三四号証)では、「確かに、前記認定のとおり、平成元年九月四日の本件調査時において、原告が、調査の冒頭から、和泉調査官が食堂兼居間に入ったことに対する謝罪を求めたり、同調査官の身分、所属部門の業務内容、質問検査権の根拠及び守秘義務等について質問を繰り返し、また、原告宅に塩谷から電話が入ると、同人に対し、テープレコーダーを持って来てほしい旨を告げたり、更に、右電話の後も、税務運営方針に関するやり取りを繰り返したりしていることや、本件調査後の同調査官との電話でのやり取りの内容などに照らせば、被告の調査に対する原告の態度が、非協力的であったことは否めない」(甲二八号証二八丁表ないし同裏)としながら、それに続いて「しかし、前記認定にかかる本件調査の状況によれば、本件調査当日に限ってみれば、和泉調査官が、本件帳簿書類を確認できなかったのは、専ら、同調査官が、隣室の武田に神経質になりすぎ、同人が、本件調査に立ち会うために原告宅に来たものと一方的に決めつけ、その排除に拘泥しすぎた結果、これにいささか感情的に対応した原告と言い争いになったためであり、まして原告は、本件調査の準備のため本件帳簿類を前記和室の座卓又はその横付近に置いて用意し、また、同調査官と向き合ってからは、本件帳簿類のうち一、二冊を、右座卓の上に置いたり、これらを手に持って、振ってみせるなどして、同調査官に対し、調査をして欲しい旨を述べるという行為までしているのであるから、この行為が帳簿類の提示と言えるかどうかはともかく、同調査官としては、隣室の武田の存在を前提にして、なお、税務調査に支障がないような方法を講じたうえ調査を行うべきであったと解され、同調査官が、武田の排除に拘泥して、約三〇分という短時間で調査を打ち切ることなく、ある程度、粘り強い態度で、調査努力を行っていれば、本件帳簿書類を確認することができたと考えられる。」(同二八丁裏ないし二九丁表)と認定している。この判決も一定納税者側の非協力的な態度を指摘しつつも調査官に帳簿書類の調査のための努力義務を求め、その努力義務を果たさなかったとしているのである。

上告人としては、調査官の身分、所属部門の業務内容を明らかにすることを求めることも、質問検査権の根拠及び守秘義務等について質問をすることも、税務運営方針を守って欲しいと要望することも本来納税者が当然なし得ることであると考えるものであるが、それはさておき、これらの判決と原判決を比較するとき、春日判決や横浜地裁判決が事実の認定及びその評価において、客観的かつ公正な態度を失って織らず、通常の経験則の適用によって理解しうる範囲の判断をしているのに比して、原判決が主観的に事実をねじ曲げ、公正さのかけらもないことが際立って鮮明となるのである。事実関係についてさらに言えば言えば、一〇月一三日や同月二七日の状況は、これら春日判決や横浜地裁判決の事案の事実関係よりはるかに被上告人調査官にとって、帳簿書類等の確認が容易なものであった。上告人は自ら調査理由の開示や立ち会いに固執したわけではなく、まして民商事務局員等の「第三者」もいなかったのであるし、上告人は帳簿書類等を朝野調査官らの面前に用意して、とにかく調査を進めてくれと求め続けていたのであるから。

第六、結語

おそらく、調査の終わるまで立会いを入れないことの約束を迫り、約束しない限り、目の前に立会いなしで提示してある帳簿書類を見ないで引き上げるなどというやり方は、全国でも前例のないものと思われる。

前述した東京地裁(春日)判決や横浜地裁判決が、事実を認定するに際し、一定の客観性、公平性をもっていたために、税務署側の不当性を指摘できたのに比べ、原判決はこのような客観性、公平性を全く持ち得ず税務署側に偏した予断に満ちた認定しかなし得なかった。

被上告人は、本件と並行して、強引かつ違法な税務調査を広範に行って、調査を受けた業者の妻が焼身自殺するという異常事態まで起こしている。

本件も、最初は立ち会いのもとで調査を進めたのに、途中から立ち会いの排除にこだわり、さらには立会いなしに見せると帳簿書類を提示しているのに、終了まで立会いを入れないことの約束を要求して、応じなければ帳簿を見ずに帰り、提示がないとからといって青色申告承認を取り消し、推計による更正処分をするという、明らかに行き過ぎた税務調査を進めてきたのである。

原判決は、このような行き過ぎた税務調査を、事実を曲げ、論理づけも全く欠落したままで、税務当局をかばいにかばって、「原告の極めて非協力的な態度からすれば、立会いなしで調査に応じるという原告の発言が真摯なものであるかどうかについて疑念を持ち、立会いのないことの保証に十全を期することも一概に不相当とすることはできないというべきである」とか、「他の年分の調査も立会いの下で実行可能であり、そうすべき義務があるとはなし得ないというべきである」とか「他の年分の調査も立会いの下で実行可能であり、そうすべき義務があるとはなし得ないというべきである」などと認定して、帳簿書類の調査ができなかった責任をすべて上告人に負わせるのである。原判決は、被上告人の主張・証拠のみを採用して事実を曲げて認定し、法的判断についても、許されるべき法の解釈を超え、あるいは必要な法的判断を回避して、まさに無理やりに結論を被上告人に有利に導いている。

原判決は経験則ないし採証法則の適用の誤りを犯しており、結果として審理不尽、理由不備の違法がある。

原判決は、もはや法に則って公正に判断すべき裁判所のなす判断とはいえない。早急に破棄されるべきである。

以上

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